2025年4月7日(月) 神田川 | ||
五街道歩きを終えて1年半ほど長い距離を歩くことを忘れていたが、今回道に迷うことがほぼない神田川沿いを約26キロメートル歩くことを思い立つ。今まさに桜は満開を迎え、花見気分に浸るウォーキングを期待して、ゴールの隅田川との合流地点・柳橋を目指して歩き出す。 神田川は井の頭公園として整備された井の頭池に源流を発する一級河川で、「ここが神田川の源流です」と書かれた木札が立っている。そこには井の頭池に架かる石造の水門橋があり、橋に沿って水門が設けられている。井の頭池にのしかかるように散り始めた桜の木がせり出し、その手前には薄紫色に咲いたシャガが群生している。 |
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井の頭公園 神田川源流地点 この小さな流れが蛇行を繰り返して隅田川に流れ込む |
井の頭池 桜と薄紫のシャガの群生 |
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井の頭公園内を通る神田川はせせらぎのようにゆったりと流れていくが、すぐにコンクリートの護岸を持つ都市河川の姿に変わってしまう。平常時の神田川の単調な流れにアクセントを付けるかのように、川底を溝状にきれいに蛇行させて、そこには菜の花が黄色く咲き、薄ピンクの桜と美しいコントラストを描いている。 神田川の上流では片岸にしか桜が植えられていないようで、最初は左岸側に、次に右岸側に桜並木が続き、三鷹市から杉並区に入る。 |
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神田川 桜と菜の花 |
神田川 右岸の桜並木 |
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井の頭線の高井戸駅を過ぎると、両岸にまだ若木のせいかほぼ上方に枝を伸ばした桜並木が現れる。これから十年、二十年の時を重ねると、神田川の流れに枝を伸ばし見るも鮮やかな景観を作り出してくれることであろう。 そんな川岸に里程標No41が立てられ、源流から4キロメートル、隅田川まで20.5キロメートルの地点であることが示されており、ゴールまではここまでの5倍の距離を歩くことになる。足や膝のスタミナが気にかかる。 |
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高井戸駅辺りの神田川 両岸に桜並木 |
神田川 里程標 |
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神田川両岸に設けられた散策路には休憩するためのベンチが設置され、散歩する人たちも足を休ませたり、知り合い同士で雑談を楽しむこともできるように整備が行き届いている。また、散策路には公園が隣接して設けられ、南公園には蛍のレリーフが建っている。この辺りの神田川では、6、7月にもなれば乱舞するホタルの灯が見られるのかもしれない。都会の住宅が建ち並ぶ空間にホタルというのは羨ましい限りである。 ピンクと黄色は美しい対比を成して目に飛び込んでくるが、そろそろ菜の花は盛りを過ぎ、代わりに山吹の黄色が桜のピンクとコントラストを演出して美しい。 |
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南公園 ホタルのレリーフ |
神田川右岸 桜と山吹 |
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神田川沿いに植えられている桜はほとんどがソメイヨシノであるが、数本のしだれ桜が植えられた一画がある。すでに、ソメイヨシノは花吹雪になっているが、しだれ桜は今まさに満開となっている。奥州街道歩きのときに立ち寄った岩手県の寺社の境内等に植えられた桜は、しだれ桜が圧倒的に多かったことを思い出す。 桜並木の合間に、キクモモが濃いピンク色の花を一杯に咲かせている。桜木の並木にしだいに慣れてき眼には、濃いピンク色は刺激的でそろそろ疲れを覚えてきたウォーキングに元気を与えてくれる。 |
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神田川右岸 しだれ桜 |
神田川左岸の桜 右岸のキクモモ |
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神田川の散策路は営団地下鉄の中野検車区を過ぎた辺りで行き止まりとなるため、左に迂回して進み善福寺川に架かる和田廣橋に出ると、橋のところで神田川に善福寺川が合流していく。和田廣橋を渡り、善福寺川沿いに歩いて合流地点を過ぎると、神田川の左岸の道となる。この辺りの神田川は左岸側が杉並区、右岸側が中野区となり、区境を形成するが、すぐに中野区を流れる川となる。 神田川に架かる中野新橋から下流に眼をやると、新宿の高層ビル群が流れの先を塞ぐように建っている。神田川の両岸に植えられた桜木はなくなり、殺風景な景観となり、ここまでの郊外然とした風景が一変してしまう。 |
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神田川に合流する善福寺川 |
中野新橋から新宿の高層ビル群 |
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都市河川の趣きとなった神田川の両岸から桜は消えてしまうだろうと思いつつ歩を進めると、中ノ橋の先の右岸には桜木が再び現れ、橋からは東京都庁舎のツインタイプの建物が間近に迫って見えてくる。神田川の神田が江戸の下町を代表する地名なので、新宿副都心の象徴である都庁舎と神田川との相性は悪くはなさそうである。 ここからの神田川は桜木があったり、消えたりを繰り返し、小滝橋の先の右岸に設けれた神田上水公園からは桜並木が続いて行く。かなり葉桜が目立ってくるが、近所の人たちが誘いあって集い、見納めの花見を楽しんでいる。 |
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中ノ橋からの東京都庁舎 |
小滝橋から神田川右岸の桜 |
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高田馬場駅の手前で神田川沿いの散策路は消えてしまい、道に迷ってしまったが、たまたま出会った婦警さんに道を教えてもらい、なんとか神田川沿いの散策路に戻り、豊島区と新宿区の区境を成す神田川を下って行く。久しぶりのウォーキングで心配していた膝の痛みは全くなく、想定外に足の方は軽く、気分も爽快である。どこまでも歩けそうな軽快感を楽しみながら歩く。 区境の神田川は文京区の流れと変わり、駒塚橋から再び両岸に桜並木が始まる。この辺りは江戸時代には、神田川を利用して江戸市民に飲み水を届けた神田上水の関口の大洗堰があり、風光明媚な場所として有名であったという。現在、江戸川公園として整備され、花壇には桜に負けじと、色とりどりの花が咲き誇り、春の香りが漂っている。 |
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神田川 駒塚橋から桜並木 橙色の建物は椿山荘 |
神田川 大洗堰跡近くの江戸川公園 |
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江戸川橋からの神田川は上を首都高速が走り、文京区と新宿区の区境の流れとなり、川沿いの散策路は消滅してしまう。仕方なく、神田川に並行する右岸側の新目白通り、左岸側の外堀通りを進む。 御茶ノ水駅に近づくにつれて神田川の川底は深くなり、江戸時代には御茶ノ水の渓谷で水を汲んで江戸市内に天秤棒に水瓶を担い、売りに行く商売が繁盛したと言われる。しかし、渓谷といっても、江戸時代に神田川などの流れを隅田川につなげるために大規模工事を行い、人工的に掘り下げて造られたものである。徳川家康、秀忠による神田台地の掘削とその掘った土を利用した埋め立てによる、江戸の都市計画の一環で行われたものである。この辺りの神田川は文京区と千代田区の区境の流れとなる。 |
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江戸川橋から神田川 |
御茶ノ水駅の神田川 |
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神田川は大都会・東京を流れる河川となり、川沿いの散策路は消えてしまうが、江戸時代の名残りを伝える湯島聖堂、後の昌平坂学問所、明治時代にあった万世橋駅跡などの史跡が昔日の面影を伝えている。 |
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相生坂 神田川は右側を流れている 黄土色の築地塀は孔子廟の湯島聖堂 |
昌平橋からの神田川 右岸のレンガ造りの建物は九万世橋駅跡奥に架かる橋は万世橋 |
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万世橋、秋葉原駅を過ぎると、美倉橋のところで神田川沿いの道が復活し、神田川は中央区と台東区の区境の流れとなり、浅草橋から下流の方を眺めると、屋形船を舫った船宿が軒を連ねている。 神田川に架かる最後の柳橋の先で隅田川に合流して、井の頭池に源を発した約26キロメートルにわたる旅路を終える。 今回は久しぶりのウォーキングで約40,000歩も歩いたが、結局覚悟していた膝の痛みはなく、軽快な足取りで歩き切ることができ、大満足であり、自信も付いたが、皮膚を鍛えることは難しいようで足裏にマメができてしまった。 神田川は考えていたよりも川岸沿いの散策路、桜並木が整備され、蛇行した流れであることを知る。そして、区境を形成しているためか、右岸側と左岸側で整備状況が変わるのも行政が異なることを反映しているのであろう。楽しい6時間半の道中であったが、桜の花吹雪、花筏を愉しむウォーキングを満喫することができた。 |
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浅草橋からの神田川 |
隅田川に合流する神田川 隅田川を両国橋が渡る |
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